1. 「南極物語」のタロジロ 剥製は国立科学博物館と北大に
忠犬ハチ公と「タロジロ」の共通点ってなんでしょう?
それは上野の「国立科学博物館」に剥製があることなんです。
あ、タロジロの剥製の両方じゃないですよ。ジロの剥製ね。タロの剥製は北海道大学にあるそうです。
※合わせて読みたい「ハチ公の犬種 秋田犬はどんな犬? 死因や本物の剥製があるって知っていた?」
出典 dameblo.asablo.jp
1957年に第一次南極観測隊で、犬ぞりを引くために同行
南極物語のタロとジロといえば、ハチ公と同じくらい有名ですよね。その剥製が同じ博物館にあるんですね。
南極観測隊に連れて行かれたタロとジロの話を知らない人のために補足しますと
1957年に南極に到着した第一次南極観測隊で、犬ぞりを引くために同行したんですね。
1958年の帰還時に天候の悪化から基地からの帰還が叶わず、繋がれたまま昭和基地に置き去りにされてしまいます。
1959年、第3次越冬隊のヘリコプターから、昭和基地に2頭の犬が生存していることが確認され、それがタロとジロだったのです。
この話だけなら感動的な話なのですが、「野犬化させないため」鎖に繋いで置き去りにしたことや、南極の生態系に異質な樺太犬を残したことなど、ネガティブな面も指摘されたようです。
あまり語られませんが、実際7頭(ゴロ・ペス・紋別のクマ・クロ・ポチ・モク・アカ)が首輪に繋がったまま死亡していましたし、6頭(風連のクマ・シロ・リキ・アンコ・デリー・ジャック)が行方不明だったそうです。
タロとジロは、首輪をうまく抜けて、ペンギンやアザラシを狩って生き延びたようです。
ペンギンにしてみれば大迷惑だったことでしょう。
1983年の映画「南極物語」では樺太犬が調達できなかったため、(1970年代にほぼ絶滅)エスキモー犬で代用したそうですよ。
2. 南極観測で活躍したタロジロは「樺太犬」
生きていたタロ(左)とジロ(1959年1月)=写真は共同通信社
映画の「南極物語」のイメージが強いので、タロジロはなんとなくシベリアンハスキー的な犬種って思ってませんか?
タロとジロの犬種は樺太犬。「からふといぬ」と読みます。
写真見てください。シベリアンハスキーとは似ても似つかないですね。見た目はどうみてもクマですよね・・・。
樺太犬は樺太および千島列島で作出された犬種で、アイヌなどの北方民族が犬ゾリ・猟犬に使っていたそうです。表現が過去形なのはすでに絶滅した、と言われているからです。
北海道では昭和40年代くらいまで、車や機械にとって替わられるまで漁業、木材の運搬、電報配達、行商などに使役犬として使われていましたが、車社会となり、必要がなくなってしまったんですね。
この辺はイギリスで「肉を焼くために使役されていた」ターンスピットに似ています。
くわしくは→「産業革命」が殺した犬
以降、他犬種と混血して雑種化したり、野生化したものは野犬狩りなどで1970年代頃にはほぼ絶滅してしまったんだそうです。
3.南極で越冬したタロジロ 樺太犬の特徴
樺太犬は中型〜大型犬で体長は64〜76cm、体高は54〜67cm、体重22〜45kgくらいでした。従順で融和性をもつ性格で、忍耐強くて勇敢で忠実です。
長毛種と短毛種がいたようですが、タロジロは写真で見る限りは長毛種。
毛の色は黒、白黒ブチ、狼灰色、茶、薄茶、白など。タロジロはツキノワグマのように胸に白い模様がありますね。
もちろん、南極に連れて行かれるような犬ですから 耐久力に優れ耐寒性も強かったそうですね。
4. タロジロはなぜ生き延びたのか
繋がれていた首輪から逃れたタロジロですが、食糧がないなか、どうやって生き延びたのでしょう? これが諸説あっておもしろいんです。
1 越冬隊が残していった食糧を食べていた説
越冬隊が戻って調べたところ、減っていなかった。
2 アザラシのうんこを食べていた説
タロジロがアザラシのうんこを食べることはわかっていて有力。
3 ペンギンを食べていた説
タロジロがペンギンを食べるところは目撃されていない。
4 アザラシを食べていた説
アザラシの肉を食べているところは目撃されていない。
5 打ち上げられた魚の死骸を食べていた説
打ち上げられていたら、それは食べるでしょうね。
6 共食い説
置き去りにされて死んだ犬を食べた形跡はない。
7 ソ連隊が餌を与えていた説
ソ連隊が給油のために昭和基地に立ち寄った際に大きな黒い犬を発見し、餌を与えたとされている。
8 フランス隊が餌を与えていた説
当時、タロジロを置き去りにしたことは世界で知られていた。フランス隊が昭和基地上空を通過したとき、発見したので保護されていた。
このなかでは「アザラシのうんち」が有力なようですね。
犬って食糞しますからね。
5. 南極から帰った後はどうなった?タロジロの剥製が別れ別れになったわけ
一年ぶりに南極を訪れた越冬隊がタロジロと再会したのが1959年ですが、ジロは第4次越冬中の1960年(昭和35年)7月9日昭和基地で病死してしまいます。たった5歳。
一方、タロは1961年に帰国。1961年から1970年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、1970年(昭和45年)8月11日に老衰で死んでいます。14歳7ヶ月と大変な長寿でした。(人間でいえば約80-90歳)
タロとジロの剥製が北海道と東京に分かれているのは、このように死んだ時期が大きく違ったからなんですね。
北海道大学植物園:タロの剥製
北海道大学植物園は、生還したタロの剥製を所蔵しています。この植物園は北海道札幌市に位置し、植物研究と保存を目的としています。明治10年(1877)クラーク博士により開園された北海道で最古の植物園。
建物やガラスケースは重要文化財に指定されているんですね。
タロの剥製は、訪問者が彼の勇敢な物語を学び、自然と動物に対する敬意を深める場となっています。
展示は、南極探検の歴史とタロの貢献を紹介し、教育的な価値を提供しています。
植物園の静かな環境は、タロの剥製を見学するのに最適な場所であり、探検の精神を感じることができます。
国立科学博物館:ジロの剥製
東京都上野にある国立科学博物館は、ジロの剥製を展示しています。
博物館は、科学と自然の教育を推進する重要な施設であり、ジロの展示は南極探検の偉業と犬たちの忠実さを伝えています。
ジロの剥製を通じて、来館者は探検隊の困難と栄光の瞬間を追体験し、動物と人間の絆の重要性を再認識することができます。ジロの剥製はとくに人気のある展示品のようですね。
稚内市青少年科学館で再会
「南極物語」の大ヒットによって、タロとジロの剥製を一緒にしてあげたいという機運が盛り上がったため、1998年(平成10年)開催の稚内市青少年科学館での「タロ・ジロ里帰り特別展」、2006年(平成18年)上野の国立科学博物館で開催された「ふしぎ大陸南極展2006」でも2頭の剥製が並んで展示されました。
6. 年表でまとめると・・・
ちょっとこんがらがりそうになるので、年代別にまとめてみましょう。
1955年10月 タロジロ 生まれる
1956年11月 第一次南極観測隊に参加
1958年2月 南極に置き去りに
1959年1月 タロ ジロの生存が判明
1960年7月9日 ジロが南極昭和基地で死亡(剥製に)
1961年5月 タロが帰国(北海道へ)
1970年8月11日 タロは北海道大学獣医学部畜産病院で老衰で死亡(剥製に)
タロジロの剥製は、タロは北大農学部附属博物館、ジロは上野国立科学博物館に展示される
その後、幾度かタロジロを同時に展示というイベントが開催されています。
7. タロのジロの歌も作られた
タロとジロ生存が日本に大きな感動を与え、様々なものが作られました。
①歌
「タロー・ジローのカラフト犬」(しばざきそうすけ作詞、豊田稔作曲)
「よかったよかった タロー ジロー」(小林純一作詞、冨田勲作曲)
「南極音頭」(作詞:吉田弘、作曲:市川昭介)
②記念像
開業したばかりの東京タワーに15頭の樺太犬記念像(製作:安藤士〈忠犬ハチ公像の彫刻家〉、構成:斎藤弘山〈斎藤弘吉〉)を設置。
③ 映画 TVドラマ アニメ
1983年(昭和58年)、タロとジロの生存劇を描いた映画『南極物語』
1984年(昭和59年)アニメ『宗谷物語』(テレビ東京)
2006年(平成18年)”Eight Below”(邦題『南極物語』)(ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ)
2011年(平成23年)『南極大陸』(TBSでテレビドラマ)
④コイン
平成19年 南極地域観測50周年記念500円ニッケル黄銅貨幣
出典 造幣局HP
⑤1月14日は「タロジロの日」
「タロとジロの日」というものもあります。1959年(昭和34年)1月14日、タロとジロの2頭が生きているのが発見された日です。タロジロの史実を後世に残そうと記念日が制定されました。この日は別名「愛と希望と勇気の日」と呼ばれるんですね。タロジロにふさわしい記念日です。
8. タロ ジロ都市伝説
感動の物語のタロ ジロですが、実はいろいろな逸話や都市伝説があること、知ってますか? 有名な話は大抵そのようなエピソードがつきものなのですが、ご紹介しましょう。
タロ ジロと南極に渡った猫がいた
タロ ジロは初代南極観測船宗谷で南極に渡ったのですが、航海の安全を願って三毛猫が同乗していたそうです。「たけし」という名前の雄の三毛猫。
じつは雄の三毛猫は船に乗せると安全に後悔できるという言い伝えがあるそうです。「たけし」は動物愛護協会で保護された猫で、南極観測船が出航するというニュースを聞いた協会の方が、航海の安全を願って隊員達のもとに連れられてきたそうです。
タロ ジロと違い、体の小さな「たけし」は南極撤退時に第一次隊とともに帰国しましたが、帰国後忽然と姿を消したそうです。
テレパシーで生存を訴えたタロ ジロ
一次隊の南極からの帰国後、置き去りにしてしまった15匹の犬の慰霊祭が行われました。 もちろん、南極に残した15匹は、すべて死んでしまったと考えての慰霊祭でした。
この時、犬ゾリ担当だった菊池隊員が、弔辞で南極に残したカラフト犬の名前を1匹、1匹呼んでいこうとしました。
ところが、13匹まではスムーズに名前が出てきたものの、最後の2匹の名前が出てこない。仕方なく、菊地隊員は13匹の名前を呼ぶのみで慰霊祭は終了しました。
名前を呼ばれなかった2匹がタロ ジロでした。
南極で生きているよ! とテレパシーを送ったのかもしれません。
タロ ジロを守った3番目の犬
タロ ジロの生存が確認されてから9年後に昭和基地の溶けた雪の中から「リキ」が見つかりました。タロジロ以外にも鎖から逃れた犬は何匹かいたんです。
鎖から逃れた犬は何処かに行ってしまったのですが、「リキ」はタロ ジロと共に基地の周りに残ったようです。
隊員は「自力では食料を得られそうにない幼いタロとジロを見捨てて逃げることができず、一緒に基地に残ったのではないか。その後、若いタロ、ジロと違い7歳の最年長だったリキは徐々に体力を失い、力尽きてしまったのだろう」と語っています。
タロ ジロは死んでいた
極め付けの陰謀論がタロ ジロ「じつは死んでいた説」です。
当時、日本は南極の観測に強い熱意を持っていました。その理由は一つは南極の豊富な地下資源のウランであり、もう一つは南極の領土権です。
そのような重大な派遣であったにもかかわらず、南極に犬を置き去りにしたことで世論は厳しくなっていました。
そこで、タロ ジロとは別の樺太犬を南極に持ち込み、タロ ジロは生きていた! というプロパガンダを演じたという話なんですね。
まあ、外野から見れば同じ犬種の犬は全部同じに見えますからねえ。
9. 今は南極に動物の持ち込みは禁止に
現在の南極では環境保護のために動物の持ち込みは禁止なんですね。1998年に外来種の持ち込みが禁止され、いまは犬をはじめとした動物は南極大陸に連れて行くことはできないのです。人間の移動も犬ぞりではなく、雪上車やヘリを使います。
環境保護のために、ペンギンは5m、アザラシは15m以内に近づいてはいけないそうです。人間についている「南極にはいない細菌」が危険なんですよね。
よく考えれば、そりゃそうです。よく犬とか猫とか持ち込みましたねー。
10. まとめ
タロジロの奇跡の生存は日本中に大きな衝撃を与えたようですねー。
50年経ってから硬貨になるなんて、もはや偉人扱いです。
にも関わらず、樺太犬は絶滅してしまっているわけで、不条理を感じないわけにはいきませんね。
また、タロジロだけが有名になりましたが、実際には他にも南極基地に取り残されて死んでしまった犬も多数いたわけです。
東京都立川市にある国立極地研究所の敷地内には、1次隊が南極を去るときに残された15匹の樺太犬の像が並んでいます。こちらも忘れてはいけませんよね。
※写真https://www.1101.com/cat/2018/takeshi/index.html参照
タロジロの剥製がまた会えるように願っています。
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