「日本一有名な犬」といったら、どの犬を思い浮かべますか?
南極物語のタロとジロ、ビクターのニッパー、ソフトバンクのお父さん。
でも、日本で「待ち合わせ場所にまでなった犬」といえば、やっぱり渋谷の忠犬ハチ公でしょう。
ところがハチ公の話を調べてみると、「10年間ずっと駅に住んで主人を待っていた」「死んでから銅像が作られた」といったイメージとは、少し違うところもあります。
この記事では、ハチ公はどんな犬だったのか、本当に主人を待っていたのか、なぜ日本中で有名になったのかまで整理して紹介します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ハチ |
| 犬種 | 秋田犬 |
| 性別 | オス |
| 生まれ | 1923年11月、秋田県大館 |
| 飼い主 | 東京帝国大学教授・上野英三郎 |
| 有名になった理由 | 主人の死後も渋谷駅へ通い続けた |
| 全国的に知られた時期 | 1932年の新聞報道以降 |
| 死去 | 1935年3月8日、11歳 |
| 現在の渋谷の像 | 1948年に完成した二代目 |
ちなみに、南極で生き残った有名な犬については、タロとジロはなぜ南極で生き残れた? 置き去りになった15頭の樺太犬とその後でも詳しく紹介しています。
ハチ公の物語
ハチは1923年、現在の秋田県大館市で生まれた秋田犬です。
翌年、東京帝国大学農学部教授だった上野英三郎のもとで暮らすようになりました。
ハチは上野博士を慕い、渋谷駅まで送り迎えすることがあったと伝えられています。

ところが1925年5月、上野博士は大学で急死します。
ハチと一緒に暮らした期間は、実はそれほど長くありません。
その後、ハチはいくつかの家を移り、最終的には上野家に出入りしていた小林菊三郎の家で世話をされながら、渋谷駅へ通うようになります。
そして1935年3月8日、ハチは渋谷駅近くで亡くなっているところを発見されました。
11歳でした。
ハチ公は本当に10年間ずっと主人を待っていた?
ハチ公の話でいちばん気になるのは、やはりここでしょう。
「亡くなった主人がいつか帰ってくると思って、本当に10年近く待っていたの?」
結論からいうと、ハチ自身に理由を聞くことはできないので、気持ちまで断定することはできません。
一方で、上野博士の死後も長期間にわたって渋谷駅へ通っていたことは記録されています。

駅に10年間住んでいたわけではない
映画や物語の印象から、「ハチは渋谷駅で野良犬として10年間暮らしていた」と思っている人もいるかもしれません。
実際には、ハチには世話をしてくれる家がありました。
そこから自分で渋谷駅へ出かけていたのです。
当時は現在ほど犬を完全に室内や敷地内だけで飼う習慣が一般的ではなく、犬が自分で町を歩くことも珍しくありませんでした。
「焼き鳥が目的だった」という説もある
ハチが渋谷駅へ来たのは、主人を待っていたのではなく、駅周辺でもらえる食べ物が目当てだったのではないか、という説もあります。
ハチの死後、体内から焼き鳥の串が見つかったことなどから、こうした話が広まりました。
ただし、ハチは食べ物をもらえるようになる以前から駅へ通っていたとされ、屋台のない時間帯にも駅に姿を見せていました。
つまり、「焼き鳥が目的だったから駅へ来ていただけ」と単純に説明するのも難しそうです。
ハチの気持ちは分からなくても駅へ通い続けたことは事実
犬が人間と同じように「いつか主人が帰ってくる」と考えていたのかは分かりません。
それでも、上野博士と一緒に過ごした場所へ、その死後も長い間通い続けた。
この行動が多くの人の心を動かし、「忠犬ハチ公」という物語になっていったのでしょう。
ハチ公はなぜ日本中で有名になった?
今では知らない人を探すほうが難しいハチ公ですが、最初から渋谷の人気者だったわけではありません。

有名になる前は邪険にされることもあった
ハチが渋谷駅へ通い始めたころは、現在のようなスターではありません。
駅員や通行人に追い払われたり、子どもにいたずらされたりすることもあったといわれています。
一匹の犬が毎日駅へ来ている。
その程度の存在だったわけです。
1932年の新聞記事が転機になった
ハチの運命を変えたのが、日本犬保存会の斎藤弘吉でした。
ハチのことを知った斎藤が紹介し、1932年10月、東京朝日新聞にハチの記事が掲載されます。
これをきっかけに、亡くなった主人を待つ犬として全国へ知られるようになりました。
今でいえば、「渋谷駅に毎日やってくる不思議な犬」がニュースになり、一気に全国区になったようなものですね。
生きているうちに自分の銅像ができた
人気はついに銅像まで作られるほどになります。
1934年4月、渋谷駅前に初代の忠犬ハチ公像が完成しました。
驚くのは、ハチはこのときまだ生きていたこと。
ハチ自身も、自分の銅像の除幕式に参加しています。
自分の銅像の完成式を見た犬というのも、なかなかいません。
ハチ公以外の有名な犬も気になるなら、有名な犬!ケンケンの犬種・スヌーピーの犬種は?もどうぞ。
今の渋谷のハチ公像は最初の銅像ではない
現在、渋谷駅前に立っているハチ公像。
実は、ハチ本人が見た銅像ではありません。

初代ハチ公像は1934年に完成
初代の像が完成したのは1934年。
ハチが亡くなる前年です。
作者は彫刻家の安藤照でした。
戦争中に初代像はなくなった
ところが初代像は、太平洋戦争中の金属供出によって撤去されました。
ブロンズ像も金属資源として必要とされた時代だったんですね。
現在の像は1948年に完成した二代目
戦後の1948年、現在の二代目ハチ公像が再建されました。
制作したのは、初代像を作った安藤照の息子・安藤士です。
つまり現在のハチ公像は、ハチ本人が見た像ではないんですね。
| よくあるイメージ | 実際 |
|---|---|
| 駅に10年間住んでいた | 世話をしてくれる家から駅へ通っていた |
| 最初から渋谷の人気者だった | 1932年の新聞報道後に全国的に有名になった |
| 飼い主と何年も暮らした | 上野博士は1925年に急死した |
| 死後に銅像が作られた | 初代像はハチの生前に完成した |
| 今の像が当時のもの | 現在の像は1948年完成の二代目 |
ハチ公の生涯を年表で見る
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1923年 | 秋田県大館で誕生 |
| 1924年 | 上野英三郎博士のもとへ |
| 1925年 | 上野博士が急逝 |
| 1932年 | 新聞報道で全国的に知られる |
| 1934年 | 初代ハチ公像完成。ハチも除幕式に参加 |
| 1935年 | ハチ死去 |
| 1944年 | 初代ハチ公像が撤去される |
| 1948年 | 現在の二代目ハチ公像完成 |
ハチ公の犬種は秋田犬

ハチ公は柴犬ではなく、秋田犬です。
1923年、父犬「大子内(オオシナイ)」と母犬「胡麻(ゴマ)」の間に生まれた8頭のうちの1頭でした。
秋田犬は日本犬で唯一の大型犬
秋田犬は、がっしりとした骨格、厚い立ち耳、巻き尾を持つ大型の日本犬です。
日本犬の中では唯一、大型犬に分類されています。
秋田犬を含む日本犬6犬種については、日本犬はなぜ天然記念物?6犬種の特徴・指定された理由・飼えるのかを解説でも紹介しています。
秋田犬は天然記念物
秋田犬は1931年、国の天然記念物に指定されました。
明治以降、洋犬との交雑などによって日本犬本来の姿が失われることが心配され、保存活動が進められた歴史があります。
現在の秋田犬も、そうした保存活動の積み重ねによって受け継がれているんですね。
秋田犬は「忠犬」なの?
秋田犬は、家族との結びつきが強い犬として知られています。
一方で、大型で力が強く、自立心や警戒心を持つ個体もいます。
「ハチ公と同じ犬だから誰でも飼いやすい」という犬種ではありません。
犬種による傾向はあっても、性格には大きな個体差があります。
ハチ公の「公」って何?
ハチ公の本当の名前は「ハチ」です。
では、なぜ「公」が付いたのでしょう。
ここでの「公」は、動物や親しい相手の名前につける愛称のような使われ方です。
昔の言葉では「熊公」「八公」といった呼び方もありました。
つまり、ハチ公だけに与えられた特別な爵位のようなものではありません。
ちなみに、犬の名前には時代ごとの流行があります。
つけてはいけない犬の名前ランキングでは、「ハチ」を含む昔から知られた犬の名前についても取り上げています。
ハチ公の死因は?焼き鳥の串は関係ある?
ハチの死後、解剖によって体内から焼き鳥の串が見つかったことが知られています。
しかし、焼き鳥の串が直接の死因だったわけではありません。
ハチの死についてはその後の研究で、重い病気があったことも分かっています。
「焼き鳥の串が刺さって死んだ」という説明は正確ではありません。

ハチ公の剥製は今も見られる

ハチの姿は、写真だけで残っているわけではありません。
なんと本物のハチの剥製が、東京・上野の国立科学博物館に保存されています。
南極物語で有名なジロの剥製も同じ国立科学博物館にあります。
日本を代表する2頭の犬が、同じ博物館にいるというのも不思議ですね。
なお、ビクターのトレードマークで有名なニッパーについては、ジャック・ラッセル・テリアの性格は?どんな犬?でも紹介しています。
ハチ公のお墓は青山霊園にある

ハチのお墓は東京の青山霊園にあります。
上野英三郎博士の墓のそばに、小さな祠が設けられています。
長いあいだ渋谷駅へ通ったハチは、今は主人のそばで眠っているというわけですね。
故郷・大館にもハチ公像がある
ハチが生まれたのは、現在の秋田県大館市です。
そのため大館には、ハチ公に関係する像や施設がいくつもあります。

大館駅周辺や秋田犬会館などで、さまざまなハチ公像を見ることができます。
渋谷では「待つハチ」、大館では「故郷に帰ってきたハチ」。
同じハチ公でも、場所によって意味が違うところがおもしろいですね。
東京大学には「再会したハチ公」がいる

東京大学農学部キャンパスには、上野英三郎博士とハチを一緒に表現した像があります。
渋谷駅の像が「主人を待つハチ」なら、こちらは「ようやく主人と再会できたハチ」です。
上野博士へうれしそうに飛びつく姿になっているのが印象的です。
ハチ公は世界でも映画になった
ハチ公の物語は日本だけで知られているわけではありません。
1987年には日本映画『ハチ公物語』が公開されました。
さらに2009年には、リチャード・ギア主演の映画『HACHI 約束の犬』としてハリウッドでも映画化されています。
舞台や設定は変更されていますが、「亡くなった主人を駅で待つ犬」という物語は世界でも知られるようになりました。
忠犬ハチ公についてよくある質問
ハチ公は何年間主人を待ったの?
上野英三郎博士が亡くなった1925年から、ハチが亡くなった1935年まで約10年です。
ただし、10年間ずっと駅に住んでいたのではなく、世話をしてくれる家から渋谷駅へ通っていました。
ハチ公は何歳で死んだ?
1923年11月生まれで、1935年3月8日に亡くなったため、11歳でした。
ハチ公は柴犬?
いいえ。
ハチ公は秋田県大館生まれの秋田犬です。
柴犬よりかなり大きい大型犬です。
ハチ公は本当に主人を待っていたの?
ハチ本人の気持ちを確認することはできないため、「亡くなった主人が帰ってくると思っていた」と科学的に証明することはできません。
一方で、上野博士の死後も長期間、渋谷駅へ通っていたことは記録されています。
ハチ公は自分の銅像を見たことがある?
あります。
1934年に完成した初代ハチ公像の除幕式には、ハチ自身も参加しました。
ただし現在渋谷駅前にある像は、1948年に再建された二代目です。
まとめ|ハチ公は「待った犬」だけではなかった
忠犬ハチ公というと、「亡くなった主人を10年間待った犬」という一言で語られがちです。
でも実際の物語は、もう少し複雑です。

ハチには世話をしてくれる家があり、そこから渋谷駅へ通っていました。
最初から人気者だったわけでもなく、1932年の新聞報道をきっかけに全国へ知られるようになりました。
そして生きているうちに自分の銅像まで作られています。
現在、何気なく待ち合わせ場所として使われている渋谷のハチ公像。
次に前を通ったら、「この像は二代目なんだよな」と、ちょっと違って見えるかもしれませんね。


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