「日本一有名な犬」といったら何でしょうね。
ソフトバンクの「おとうさん」?南極物語の「タロ ジロ」?
※タロジロについては「タロ ジロ の剥製があるって知っていた? 樺太犬とは?南極物語で有名」を読んでね。
いやいやいや、ハチ公でしょうね。渋谷の「ハチ公口」に鎮座ましましている「忠犬ハチ公」ですよ。
ハチ公は当時東京大学の教授であった上野教授の家へ贈られます。もともとは以前の飼い犬と死別していた教授は再び犬を飼うことに消極的だったそうですが、ハチ公と心を通わすうちにお互いがかけがえのない存在になったそうです。
ハチ公は渋谷駅まで上野教授の送り迎えをするのが日課でした。
上野教授もそんな健気なハチ公をとても可愛がったそうです。
そんなある日、教授は脳溢血で倒れ亡くなります。
その後、上野家は売りに出され、ハチ公はいろいろな人のもとを転々します。
でも、どこの家も抜け出してしまい、最後には渋谷の元の家へと帰るのでした。
もちろん帰ってももうハチ公の家はありません。
ハチ公は毎日夕方になると渋谷駅で上野教授の帰りを待ちます。
そんな姿が新聞記事に取り上げられ、その記事をみた実家の和歌山で暮らしていた上野教授の妻は、ハチ公のもとを訪れますが、ハチ公は彼女の前からも姿を消してしまいます。
そして、昭和10年3月8日、ハチ公は教授を待ちながら雪の中で13年の生涯を閉じたのでした。
※出典 どだすか大舘
ハチ公の犬種は秋田犬ですね。ほら、ザギトワに送られた「マサル」と同じですよ。
1923年に父犬「大子内(オオシナイ)」母犬「胡麻(ゴマ)」の間に誕生した8頭の兄弟の中の1頭です。
秋田犬とかいて「あきたいぬ」と読みます。
秋田犬はずっと雑種化が進んでいて、現在のように保存ができてきたのは、20世紀に入ってからのことなんですね。
戦争中に犬の毛皮を使用するために供出を余儀なくされ、戦後に残った秋田犬は20数頭に過ぎなかったそうです。
そこからの保存で今の秋田犬があるわけですから、並並ならぬ苦労があったと想像できますね。
秋田犬は足が長く腰高でがっしりとした体格、短毛の大型犬です。耳は三角形の厚い立ち耳。鼻は黒に限りますが、白い犬は「肉色」のものもOKだそうです。
ジャパンケネルクラブの標準では、オスの体高は67cm、メスは61cm。体重は30kg-50kg。
性格はもともとが闘犬だったので、頑固な気質が残っている部分もありますが、忠誠心が大変厚く、家族には愛情深く、それ以外の人や犬を警戒します。
ね、忠犬ぽいですよね。
気をつけないといけないのは、闘犬時代のどう猛さは大部分取り除かれていますが、いつも注意をしていないと他者に対し防衛心が働き、思わぬ事故を招いてしまうことがあります。
「アニコム家庭どうぶつ白書2012」によると、賠償責任事故の「犬の品種別事故発生率」で、秋田犬がもっとも高い結果となっているんですね。
※【関連リンク】家庭どうぶつ白書2012
ちなみに、ですが、今でも秋田犬のオスの名前の人気第8位は「ハチ」なんですよね。
ハチ公の本名(?)は「ハチ」です。その本名になぜ「公」をつけて呼ぶのでしょうね?
調べてみるともともとは「公家」と言う言葉のもとになった尊称のようですね。
ハチ公もあんなに忠犬として知られているので、尊称で呼ばれているのか?とおもいきや、動物などには愛称として使用するとあります。たしかに「クマ公」とかもいましたからね。
ハチ公の「公」は愛称と考えたほうが良いですね。
主人の死後、毎日渋谷駅に通った、というのが「忠犬ハチ公」のメインテーマなんですが、実はこれには異論があるんです。
ハチ公が亡くなった後、解剖されたのですが、腹のなかには折れた焼き鳥の串が入っていたそうです。
串が刺さって死亡、ではないのですが、ここが問題で、「ハチが駅前に現れたのは駅前の屋台でもらえる焼き鳥や、餌が目当てだったため」という説があったんですね。ハチは主人の上野英三郎の通勤時間ではない時間帯でも駅前をふらふらしていたという証言もあり、そのように考える人もいたようです。
これらに対して
① ハチは屋台が出ない朝も9時に必ず駅に行っていた
② 焼き鳥などがもらえたのはハチが駅に通った9年間のうち、たった2年間で、それ以前は駅員や駅周辺の人々からいじめられていた
③ ハチが座っていたのは上野が出てくる改札口に接する小荷物窓口の近くであって駅前の屋台の近くではない。
などなど異論を否定する証言があり、今ではご存知の通り「忠犬」を拝命しているわけです。
え? と思いません? ハチの剥製があるんです。
上野の科学技術館に。
ハチの剥製を作ったのは、日本の剥製製作の元祖と言われる坂本福治の息子であり「坂本式剥製法」を大成させた坂本喜一さんです。
ハチがどんな姿形をしていたのか、は今でも科学技術館に行けば見ることができるんですねー。ハチの剥製の胴体のなかには「いつ死に、いつ作られ、誰が作ったのか」を記載した記録が入れられているそうですよ。
ハチの墓もあります。しかも超高級霊園の「青山墓地」にあります。
上野英二郎の墓石の右に小さな祠があり、これがハチ公の墓になります。
英三郎が亡くなった後、10年近く帰りを待って渋谷駅に通っていたハチはようやく主人の元で安らかに眠ることができたんですね。
ハチが生まれたのは秋田県北秋田郡二井田村というところですが、現在は「大舘市」となっています。
そこで大館市には
① JR大館駅前
② 秋田犬会館前広場
※出典 大館市HP
③ 大館市大子内の斎藤良作宅前
に銅像や石碑があるんですねえ。
渋谷と合わせて4体のハチがいるんです。
とくに秋田犬会館前広場にあるハチ公像は「望郷のハチ公像」というのですが、晩年のハチ公の、喧嘩で片耳が垂れてしまった姿を映しています。他にはないリアルなハチ公だと思います。
さらに、JR大舘駅構内には「ハチ公神社」もあるんですね。
どんなご利益かは調べられませんでしたが、お賽銭を投げると、ハチ公が鳴くそうです。
※出典 煩悩だらけの日々
※写真 https://thegate12.com/jp/article/183
ハチ公の飼い主、上野教授ゆかりの東大農学部のキャンパスにもハチ公増があります。
写真を見れば分かる通り、上野教授に飛びつくハチ公の姿ですね。微笑ましいです。
また、「農学資料館」では、上野博士の胸像と、ホルマリン液に入れられたハチの臓器(!)が展示されてるそう。
上野の科学博物館には「ガワ」の剥製がありますからね・・。
ハチ公の物語はなんとハリウッドでも映画化されました。リチャード・ギアが「HACHI~!」と名前を呼んでいるCMがありましたよね。
秋田犬つながりでいえば、フィギュアスケーターのザギトワに送られたマモルもいましたね。
ザギトワは日本で2018年平昌オリンピックの合宿中に雑誌で秋田犬を知り、秋田犬を飼いたいと母親に相談。
母親は、「五輪でうまく滑ったらね」と応じたそうです。
このことが2月27日に報道されると、秋田犬保存会会長であり政治家の遠藤敬さんが、秋田犬を贈呈することを決意したそうです。
スターズ・オン・アイスに出演するために来日していたザギトワと会い、赤毛3匹、虎毛と白毛1匹ずつの計5匹のメスの子犬を撮影した写真を提示したところ、ザギトワは、マサルを選んだとのこと。
そしてマサルはメスなんですけどね。
ハチ公の犬種や死因などをお伝えしました。
こんなに日本中の人に知られている犬はハチ公以外にはやっぱりいませんよね。
何の気無しに待ち合わせに使っている渋谷のハチ公前にもありがたみが増すってものです。
今一度、しげしげとハチ公像を観察してみたらいかがでしょうか?